生きるということに関して、自分は世界・他者から幸せにしてもらう「権利」がある、と思っている人と、生きるとは世のため人のために何かをなすということだと考えている人では、おのずと生前準備の中身も違ってきます。
正反対と言ってもいいでしょう。
もとより私は後者であり、私の考える生前準備もそうした人たち向けです。
具体的には、
- 残りの人生で何をどこまでやるか
- 同じ志を持つ人への申し送りや励ましのメッセージ
- 自分が死んだあとも志が受け継がれていくようにするための準備
といったことが中心となります。
よく生前準備に関して「死ぬための活動ではなく、よりよく生きるための活動です」といった説明がなされます。けれど自分が幸せになりたいだけの人と、世のため人のためをまず考える人では、当然その内実は全然違ってきます。
私から見れば、「終活」という薄っぺらな言葉を使って全く恥じるところのない人、ましてや「自分らしい」などという形容詞をそれに付け加えてしまうような人は、こちら側の視点について全くわかっていない、という気がします。
エゴを超えるというのは自然に起こることではなく、一定以上の人生経験と修養を経てのことですので、私らにはあちらのことはよくわかるつもりです。私としては、より深い意味での生前準備にいそしむ人が増えることを期待するばかりです。
それには当然ながら、終活という名の下に語られる実用情報なんかに接しているだけではとうていたどり着けません。時間の無駄とまでは言いませんが、力点の置きどころが違うだろう、とはいつも感じるところです。