死に方より生き方

私は、死の準備の大切さをかねがね訴えています。

けれどやはり「どう死ぬか」より優先して考えるべきことは「どう生きるか」だということに決まっています。こちらが定まっていなかったり、見当外れのものだったりすると、死への備えも当然ながらおかしなものになってしまうでしょう。

私から見ると、「自分(一人)が幸せになる」ということしか考えていないようでは、その死に様も結局はその人一人にしか意味のない、ちっぽけなものに終わらざるを得ません。良く言われる「自分らしい死に方」とか「自分らしい最期」というフレーズには、そうしたにおいを感じ取ってしまいますね。

自分の命を何に使うか。
自分の人生は何のためにあるのか。

こうしたことに対して、それこそ自分なりの回答を見いださない限り、おのれの満足、おのれの欲望と行った狭い枠を飛び出すことはできないでしょう。

ただしその過程で「自分はいつか死ぬ」あるいは「自分の大切な人は自分より先に死ぬかもしれない」ということと真摯に向き合うのは決して意味のないことではないはず。一部の人が言うような「死ぬ準備するくらいなら、今を生きることに専念した方がましだ」という意見には、賛同できません。その「今を生きる」ことの中身がその人の死とともに無意味になるようなことだったら、砂上に楼閣を築くようなものですから。

おのれの命の有限性と向き合いつつ、各人が生き方を自分で模索していく。そんなのが私の理想ですね。全員が一気にそういう方向へ行くとは考えられませんので、目ざめた人、気付いた人から粛々とそういう生き方へシフトしていくということにならざるをえませんが。

けれどある時からそうした人たちが爆発的に増えるのではないか。人生のいわば「折り返し地点」を過ぎた私が生きている間にそれを目にすることができるのではないか。そんな予感もあります。


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