診てもらいたい医者・そうでない医者

投稿者: | 2018-09-14

あまり、というかほとんど医療の世話になっていない自分ですが、時々タイトルのようなことを考えます。

数週間長くて数ヶ月で治るような病気・ケガの場合と、人生の最後を診てもらう、つまり看取ってもらう場合とでは、当然条件も変わってくることでしょうね。

前者であれば、一定以上のコミュニケーション力とやはり医師としての「腕」が何より重要となるはずです。他方後者の場合は、自分がどう死にたいかを理解してくれる人、そして心が通うような相手であることが重要になってきます。藪医者というような無能な医者では話になりませんが、スキルが一定以上あるならば、あとは人柄・人徳みたいなもののほうが大切かと。

私自身、終末期の医療に携わる医師が書いたものを読んだり話を聞いたりするのが好きで、何人か「ファン」と言って良いような人もいます。反対に「この人には診てもらいたくないな」というような死生観・生命観がまったく合わなさそうな人がいるのも事実です。

思うに、日本人の間で医師に対する見方に大きな違いがあるようには思えません。「この人には看取りを任せたくないな」と思われちゃうような医師は、ほとんどの患者・家族にとって忌避すべき存在として映るのではないでしょうか。

もちろん医療は看取りばかりではないので、そういう医師であっても自分に向いている分野で大いに力を発揮してもらいたいものですけど。それを本人も自覚せず、またまわりの声も届かずに「残念な看取り」が繰り返されるとしたら、悲劇的と言うしかありませんけどね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください