田坂広志語録(週刊ダイヤモンド「社会起業家」特集から)

投稿者: | 2009-04-17

最近、田坂広志氏がとても気になる存在です。近頃になって私がたどりついたような認識や境地(?)に、はるか以前から達しており、今ではなお先を行っている。

目下、私淑させていただいている思想家の一人です。

さてこれまで3回にわたって記事で触れてきた、週刊ダイヤモンドの「社会起業家」特集。社会起業家フォーラム代表でもある田坂広志氏のインタビューも当然、載ってました。その一言一言に、正直、ゾクゾクするほど感銘しました。

以下、その一部を抜粋します。

「ボランタリー経済」と呼ばれる経済原理の復活。ボランタリー経済とは、金銭的な充足ではなく精神的な満足を求めて行われる経済のこと。・・・インターネット革命によって、このボランタリー経済が急激に勢いを強め復活してきている。・・・この経済の潮流が、社会起業家が続々と生まれている背景にある。

人はなんのために働くか、ということについてのパラダイム転換が起きているのだといいます。上記の後の節では、「目に見えない報酬」なんて言葉も、出てきました。要は、カネ以外の精神的・知的な部分での「報われ感」で、具体的には、やりがいのある仕事に取り組んでいるという意識、職業人としての能力向上、人間としての成長が挙げられています。

これまでの資本主義では、企業の究極の目的は「利益を上げること」とされてきた。それに対し、社会貢献を究極の目的として掲げるのが、社会起業家だ。

ただ、もともと日本企業には、営利か社会貢献かという二項対立はなかった。

社会起業家のトークでも、利益と社会貢献という2つのベクトルの話はよく出てきます。社会貢献なき利益追求は論外としても、利益なき社会貢献では空論にしかすぎません。結局は、「ほどほどの利益あってこその社会貢献」というのが正解なのでしょう。それにしてもこの辺のことは、ピーター・ドラッカーもよく言っていますし、渋沢栄一の「右手に算盤、左手に論語」も同じことでしょう。

こうした経営哲学はもともと日本にあったものだ、というのは、以下に引用する日本における社会起業家のビジョンにもつながってきます。

日本の社会起業家はまだまだ層が浅くスケールも小さい。事業経験のなさゆえ、戦略性で劣る面もある。

だが、日本でわれわれが目指すべきは、・・・”スーパー・アルピニスト”ではなく、無数の”グラスルーツ・バックパッカー”を育てることであると思う。

社会起業家に関心を持つ人の中には「日本の社会起業家はまだまだダメだ」という人が少なくありません。田坂氏はそれを認めつつ、日本なりのあり方を提示しておられます。要は、裾野を拡げることが大事ということ。社会起業家が数多く生まれれば、世界的に活動し、影響力を持つ日本人社会起業家も出てくるんじゃないでしょうか。ちょうど野球の野茂やイチローのように。

今後は単に「寄付をする」のではなく、「ソーシャル・インベストメント」という発想に変わっていくだろう。・・・だから今後は、NPOやNGOにもビジネスマインドが不可欠になってくる。

この点は、遺言での寄付を呼びかけている私にも関わりの深い論点です。まだ自分の中で消化し切れていないので、もう少し考え、改めてエントリを起こしますね。

たとえ営利企業で働いていても、社会貢献の志を抱いて日々の仕事に取り組むならば、その人は立派な社会起業家と呼ぶべきだろう。

日本中の働く人びとが、「世のため人のため」との願いを持ち、職場の片隅で、日々の仕事を通じて社会貢献と社会変革に取り組む。そのとき、この国は、大きく変わっていくだろう。

結論です。何と前向きで、温かい言葉なんでしょう。惚れました(笑)。

田坂広志語録(週刊ダイヤモンド「社会起業家」特集から)」への0件のフィードバック

  1. ピンバック: 志の輪、広げよう。 » 志太勤氏の「志太拓世塾」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください