人生の不条理の一つとしての「面接」

投稿者: | 2009-06-27

人生はいろんな不条理に満ちています。

いつ生まれるか、誰の子として生まれるかを選べない、というのはその際たるものでしょう。

私は自由主義者なので、選択の自由はどんどん広げるべきだと考えますが、そうやって自由が拡張していっても、人生に不条理は必ず残るものだ、ということはわきまえているつもりです。むしろそんなところに人生のおもしろさ、妙味を見出せるくらいでないと、真に人生を楽しむことはできないと思います。

さて、そんな不条理の中でも、私が気になるものは、採用試験の面接や、オーディション、コンテストなど、一方が他方を評価し、それが評価される側の人生を左右するものです。えてして、評価される側が評価する側の器を超えているというケースがあるからです。

「燕雀いずくんぞ・・・」という故事成語がありますが、スケールの小さい人間には、スケールの大きい人間の「すごさ」はわからないものです。これまで人類の歴史の中で、こうした小人による不採用、落選がどれだけ才能を埋もれさせてきたことかと思うと、涙すら出そうになります。

とはいえ、長い人生においては、その不採用や落選が当人にプラスになることもありますから、ますますもって人生は不条理です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください