人生はいろんな不条理に満ちています。
いつ生まれるか、誰の子として生まれるかを選べない、というのはその際たるものでしょう。
私は自由主義者なので、選択の自由はどんどん広げるべきだと考えますが、そうやって自由が拡張していっても、人生に不条理は必ず残るものだ、ということはわきまえているつもりです。むしろそんなところに人生のおもしろさ、妙味を見出せるくらいでないと、真に人生を楽しむことはできないと思います。
さて、そんな不条理の中でも、私が気になるものは、採用試験の面接や、オーディション、コンテストなど、一方が他方を評価し、それが評価される側の人生を左右するものです。えてして、評価される側が評価する側の器を超えているというケースがあるからです。
「燕雀いずくんぞ・・・」という故事成語がありますが、スケールの小さい人間には、スケールの大きい人間の「すごさ」はわからないものです。これまで人類の歴史の中で、こうした小人による不採用、落選がどれだけ才能を埋もれさせてきたことかと思うと、涙すら出そうになります。
とはいえ、長い人生においては、その不採用や落選が当人にプラスになることもありますから、ますますもって人生は不条理です。