Twitterと死

投稿者: | 2009-09-13

ブログが定着し始めた時にも、この手の話題がありました。Twitterを通じて交流のあった人が亡くなっていたというのを、後になって知ったという話。

はげあたま.org – また一人,Followerが旅立たれました

先月16日に焼き肉オフ行って隣に座ってたあの@kirishima16でした.その3日後の8月19日に亡くなられたようで,死って身近すぎて怖いとしみじみ感じさせられますね.TwitterってTL上からいなくなっても埋もれるだけでなかなか気付けないため,半月以上経って突然突きつけられた感じです.

お二人の関わりについて、詳しいことは全く存じ上げません。なので、以下は一般論です。

確かに、Twitterにおいては、特定のFriendがつぶやきを何週間もしていなかったとしても、気付かないことは多々あります。

その辺のことも含め、将来的には、自らの訃報がソーシャルメディアを通じて流れるようにしておく、というのが「マナー」みたいのものになるかもしれません。ブログやSNSであれば、親族に死亡通知の記事を投稿してもらうとか。

Twitterについて言えば、いずれは生体情報と何らかの形で直結して「危篤」とか「絶命」というポストが自動的に送信されるようになるんではないかと思います。孤独死対策にも使えそうですしね。で、そのポストがReTweetされまくって、Twitterのネットワークを通じて訃報が広まる、と。まぁ一番手っ取り早いのは、親族がiPhoneやケータイなどを使って、故人のアカウントから訃報を告知することですが。

訃報を知った人はどうするべきでしょうか。リアルの知り合い、友人ならともかく、オンラインを通じてのみの知り合いであれば、弔問に訪れるというのは不自然なことかと思います。やはりあくまでネットを通じて追悼し、弔意を表すのがいいんじゃないでしょうか。具体的には、故人の書き込みをまとめて読み返す、追悼記事を投稿する、など。

遺族の側も、ネットを通じて情報発信するのが親切だと思います。たとえば、葬儀やお別れ会の映像を配信するとか、追悼の記帳ができる掲示板なりコメント欄を準備するとか。

Twitterを通じてのつながりは、とても緩やかなものです。それが心地いい。でも、何年にもわたってタイムラインでその人の生活の息吹を受け取っていれば、訃報を聞いた時に少なからぬ衝撃を受けるのもまた当然。我々は、新しい「二人称の死」と向き合おうとしているだと思います。

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