失業というか無職の時期というのを何度も経験しているので、仕事がないことが人の心身にどれだけマイナスの作用をもたらすか、体で理解しているつもりです。
特に借金を抱えてたりすると、自殺が頭をよぎっても、不思議ではありません。実行するかどうかは、別問題ですが。
なので、ここに書かれているような「仕事の潜在的影響」といった話も、割とスッと腑に落ちます。
「仕事=労働」には、潜在的影響(latent consequences)と呼ばれる、個人にとって数多くの経済的利点以外のものが存在している。
潜在的影響とは、1日の時間配分、自尊心、他人を敬う気持ちなどで、産業心理学者のWarr は、身体及び精神的活動、技術の使用、自由裁量、他人との接触、社会的地位、なども潜在的影響に挙げている。
潜在的影響は、「人が前向きに生きる力」となる。潜在的影響は元気になる力となって、人間の精神的健康度を高める。リストラはそういういくつもの元気になる力を、一気に奪ってしまうのである。
どんな仕事でも、ないよりはあった方がまし。仕事をしないでいることは、人を堕落させる。これらは、時代が変わろうとも、人間性が変わらない限りは普遍の真理だと確信しています。
ただ、終盤の「何があってもリストラはやるべきじゃない」という議論には、賛成しかねます。安易なリストラが良くないのはその通りですが、個々の企業に無限の雇用責任を負わせるのは、結果として社会全体の雇用を減らすおそれがあります。
雇用に関する規制を緩和すること、あわせて新産業・新ビジネスが次々生まれるよう、経済を活性化すること。これこそが、社会としてあるいは政府が、やるべきなんじゃないでしょうか。
Twitterで「社会貢献」という語を検索して見ていると、「人を雇うのは企業として大きな社会貢献だ」といったつぶやきを時折目にします。上述のことを考えると、それは否定できません。ただ個人的には、ちょっと要求水準が低い気がします。その程度のことはいわば「当たり前」であって、もっと深く大きな社会貢献も、企業には可能だろう、と。
仕事に関しては、同じ日経ビジネスオンラインでもう一つ興味深い記事を見つけましたので、次回はそれを取り上げます。