葬送は共同作業

投稿者: | 2010-01-22

結婚式の紋切り型のナレーションに、ケーキ入刀の際の「新郎新婦の初の共同作業です!」というのがあります。

それを真似るわけではありませんが、葬儀や納骨など葬送の営みは、故人と遺族の共同作業だ、というのが私の強い思いです。共同作業であるべきだ、と言った方がいいかもしれません。

私が理想とするのは、故人が程良い詳細さの希望を遺言として書き残しておき、あるいは生前から何かのついでに希望を家族に話しておき、死後、遺族が必要な部分を補いながら、営みを進めていく、というものです。

程良い詳細さ、というところがミソでして、遺族が面倒くささを感じるほど細かいものだと良くありませんし、実現できないこともでてくるでしょう。一方、何も希望を伝えていないと、遺族が「故人も喜んでくれるだろう」という確信を持つことができません。私に言わせれば、黙って逝くのは薄情です。

こうした共同作業、遺族にとっての心理的効果は少なくないと考えられます。一連のプロセスが良きグリーフワークとなるでしょうし、死後もなお家族の絆が強まります。時には遺族は、満足感・達成感のようなものを持つことが可能なのではないでしょうか。

よく「遺言は家族へのラブ・レターだ」と言われます。こうした面があることを思うと、あながち大げさでもありませんね。

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