救世主兄弟

投稿者: | 2010-04-02

先日のNHKスペシャル「人体“製造” ~再生医療の衝撃~」は、文字通り衝撃的でした。

幹細胞を使った再生医療の海外での事例が紹介されていたのですが、そこで登場したのが「救世主兄弟」。

中でも急速に進むのが、生殖医療との組み合わせ。子供の病気を治すために、別の赤ちゃんが作られ幹細胞が採取されて移植されている。こうして作られる子は「救世主兄弟」と呼ばれ、米国を中心に既に200人以上生まれている。体外受精によって受精卵を複数作り、兄姉と遺伝子が適合するものだけを選び出して妊娠・出産するのだ。

アメリカでは、法で規制することなく、医療関係者の自主規制に任せているとのこと。一方イギリスでは、臓器移植目的の体外受精は禁止するなど一定の規制を掛けているとのことでした。

この救世主兄弟、日本語としての語感の異様さともあいまって、一見非常にグロテスクなものに思えます。ただよくよく考えれば、親が何かの手段、もっと言えば道具として子をなす、というのは人類の歴史においてありふれた行動だったとも言えます。救世主兄弟に限ってそれを禁止する、というのは筋が通らない、とも言えるんじゃないでしょうか。

私自身はやはり救世主兄弟をおぞましいとは思いますが、それを法律等で禁じることには反対です。

さてこの手の問題は、医学的に可能なことであっても、人はあるいは社会はどこかで線引きをするべきではないのか、という問いにつながります。現状私は、医学的に可能なことは明白に人道に反するものでない限り、禁止するべきでない、という考えです。ただし医師はリスクについてきちんとするべきですし、その医学の恩恵を受けようとする者は、未知のリスクをも甘受せねばなりません。

番組でも誰かが言っていましたが、医療とはそもそも自然に反する行為です。人の生きたい、病気やケガを克服したいという欲求に応えるものである限り、その医療の恩恵に与ろうとする者を第三者が否定することはできないと思うのです。

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