ウィキリークスがアメリカ国務省の在外公館公電を次々と公表し、物議を醸しています。
政府の不正を暴露する、という点ではウィキリークスに一定の存在意義を認めますが、さすがに今度のはやりすぎでしょう。一種のテロ行為だと捉える向きもありなすが、それも頷けます。
基本的には、「オープン」とか「情報公開」は望ましいことです。けれど、全てを公開するべきかと言われれば、それは違うと考えます。以下のような不都合が考えられるからです。
- 途中でオープンになってしまうことで、まとまるものもまとまらなくなるケースが出る
- いろんな分野での情報収集活動が困難、ないし不可能になる
- 早晩バレるとなれば、かえって情報の隠蔽が進む
驚くのは、こうした「機微」を知ってか知らずか、今回のウィキリークスの所行を手放しで賛美し、批判する者を「わからず屋」呼ばわりする人がいることです。私から見れば、「オープン」とか「情報公開」といった原則にのみ目を奪われて、バランスの取れた見方ができない人たちだな、というしかありません。久々に「バカの壁」という言葉を思い出したことでした。
とりわけ上記のような人たちは、自分は人並み優れた知性の持ち主だと自負してることが多いから、たちが悪いんですよね(笑)。