遺児を社会で支援する

投稿者: | 2011-10-19

震災遺児への金銭的支援に関して、「朗報」というべきニュースが相次いでいます。

震災遺児らの一時金150万に…あしなが育英会
震災遺児に学費提供 ロート製薬など3社、40億円基金21日設立

まずは経済的困難への支援が先決ですので、こうした流れを歓迎したいです。あわせて、個々の遺児の抱える物心両面での問題について、これからも息の長い支援が望まれます。

考えてみれば、「遺児」が生まれるのは今回の大震災ばかりではありません。過労死を含む親の突然死、自殺、交通事故、犯罪被害等々、さまざまです。こうした遺児たちに対して、包括的にしかも継続して支援を行っていく「仕組み」が、社会に備えられるべきなのでしょう。

遺児支援に関連して、思うところを3つほど。

全体と個別
「遺児」というくくりで共通の支援をする一方で、原因別の支援も必要です。前者が二階建ての一階部分なら、後者が二階、ということになりましょうか。たとえば交通事故遺児と自死遺児では、一括りにできない部分もあるでしょうから。もっと言えば、必要な支援は個人個人で異なる、という話になるのでしょうけど、便宜・効率の上でも、二階建てで考えることは有効なはずです。

支え手として
遺児自身にも、支援システムの担い手になってもらう。これは、システムの継続性をより確かなものにするためにも、被支援者を「支援されるだけの人」にしないためにも、きわめて重要なポイントです。

支援依存という落とし穴
以前一般論として書いたように、支援が当たり前になってしまうと、被支援者の自立を阻害してしまう傾向があります。「自立を目指した支援」という考え方は、あらゆる局面において忘れるべきではありません。

私は、このままだと自分の子を持たないで一生を終えることになりそうです。「罪滅ぼし」とか「代償」というと変な話ですが、こうした遺児支援に対し、長く貢献していきたい気持ちを持っています。遺児となってしまった人への支援はもとより、遺児の出にくいシステムづくりということも含めて。

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