ここ数日は少し収まったようですが、年明け以後、孤立死のニュースが相次ぎました。
- 1月に札幌で、姉死亡後に障害者の妹が凍死
- 2月に立川市で、母親の死亡後に障害者の息子が衰弱死
- 2月にさいたま市でミイラ化した60代夫婦と30代息子の遺体が発見
- 3月に立川市で認知症を持つ90代の母親と60代の娘の遺体が発見
社会が注目しているだけに、メディアも従来なら取り上げないかベタ記事だったような事件も、大々的に扱います。それで「相次ぐ」ということになるんですね。一昨年、所在不明の高齢者が相次いだのと、同じパターンと言えます。
2人ないし3人家族で一人が支える側だったとき、その支え手が倒れると支えられる側が道連れになる、というのは今の日本社会ではかなり多くの家庭に潜む「弱点」でしょう。しかもこのままだと、今後もどんどん増えることが予想されます。社会に警鐘を鳴らすことは、やはり必要でしょう。
さてこうした事件が取り上げられるとき、メディアでは「孤立死」という呼び方が定着しつつあるようです。単身者が死後かなり時間が経過して発見されるのが「孤独死」で、複数の人が看とられることなく次々に亡くなっていくのが「孤立死」と区別されているようです。
一時は、従来メディアなどで言われてきた「孤独死」を行政用語で「孤立死」と呼ぼうとする流れがありました。ただ、世間に定着した呼び名をあえて変えるのはやらずもがなのことですし、今またこうして「孤立死」は孤立死として定着しつつあるわけですから、孤独死の意味で孤立死を使うのはなおさら不適当でしょう。
なお、孤独死については「死後どれくらい経過した場合に、孤独死とするか」という問題があります。UR=都市再生機構が「一週間を超えて発見されなかった事故」と定義しましたが、3日とか一週間が妥当な線でしょうね。少し前に元タレントの山口美江が亡くなっているところを発見されました。彼女の場合は、死の翌日には発見されたと見られますので、孤独死には当たりません。