合理的ということ

投稿者: | 2013-01-27

先日書いた早期退職問題の続きです。

早期退職した公務員を擁護する人たちは、「彼らは合理的に行動したのだから、何にも悪くない。責められるべきはこうした制度をつくった側の方だ」というお考えの人が大半のようです。「合理的」という言葉を使っている人、Twitterでも多く見かけました(ついでに言えば、そうした合理的行動を擁護する自分のことも、合理主義者と自認している印象です)。

後段の「責められるべき」うんぬんには同感ですが、合理的というのは必ずしも賛成できません。金銭的に得をする行動が必ずしも合理的とは言いいきれないからです。目先の100万円かそこらを獲得するために、同僚や家族、そして今回の場合だと生徒やその保護者からの評価・評判を落とす危険性があります。そして当人の自尊心も傷つくのではないでしょうか(傷つかないとしたら、それはそれで問題かと・・・)。

仕事はいろんな面で「お互いさま」な面があります。本件を擁護する人には、その辺の感覚が鈍いか欠如している人が多いように思えてなりません。私が見た限りだと、学者やフリーランス、あと海外在留邦人などが擁護派に多かった気がします。日本社会の組織で働いた経験が乏しいか、それがイヤで飛び出しちゃった人たち、といった感じでしょうか。そのためか「これ(本件が非難されること)だから、日本はダメなんだ」的なことまで言う人も多かったですね。

私自身は、辞めなかった先生、辞めなかった公務員の方が多かったことをうれしく思うものです。これは日本社会の欠点であるどころか、むしろ強みであり、これからも守っていきたい美風だわ、くらいに考えています。

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