ある学生が、学校のレポートか何かで「あなたの死生観を書きなさい」みたいなテーマを課された、とTwitterでつぶやいていました。
つぶやきというより、ぼやきという感じでしたが。
学生というと、20歳とかそれくらいでしょう。その年齢で「私の死生観はこれこれです」と、淀みなく答えられるものかどうか。そういう人がいるなら、かえって胡散臭く見えてしまいます。書くことに困ってしまう方が、その年齢では普通なのではないでしょうか。
身近な家族を亡くしたとか、自分自身が大病を経験した、あるいは紛争地帯に旅行とか留学をした、ということでもあれば多少の死生観は育つかもしれません。それでも通常は「自分の死」を現実的なものとして見ることはできないでしょう。そうした段階での死生観など、言っては悪いですがたかが知れています。
死生観を培うということ。それは長い人生を通じてあれこれ考えたり経験する中から、徐々に育まれ、熟成していくものだと思います。年齢を重ねる中で。そして平成の現在では、いい年をした大人、あるいは老人になっても、なかなか熟成にまで至らない人が多いのではないでしょうか。もちろん私も、その一人かもしれません。
これからしばらく、死生観ということについてじっくり考えてみようと思います。