「終活」というキャッチーな言葉ができたことによって、生前準備が一種のブームになっています。
他方でこの軽薄な言葉に嫌悪感を持つ人がおおぜいいるのも、また事実です。その気持ち、私にも少しわかるつもりです。こんな記事を書いたのは3年ほど前。
「終活」というコトバが気にくわない | 志の輪、広げよう。(2010-06-30)
ただ、呼び方が気に入らないからといって、その中身や趣旨まで毛嫌いしてしまうのはいかにももったいないです。「終活」という言葉は目新しいかもしれませんが、死に備えるという営みそのものは、古くから日本人にとって自然なことだったと考えますので。近代以降、特に戦後になって死を忌避する風潮が強まりましたが、むしろその間の方が日本の歴史において例外的と言っていいのではないでしょうか。
高齢化の進む我が国において人々が持つ死生観は、伝統的なものと全く同じというわけではないでしょう。そもそも「多様化」「個性化」も大きな流れですし。でも、古人、とりわけ庶民の死に対する向き合い方から我らが学べることは多いと考えます。一言で言えば、従容として死んでいく、といったところには。