ある方のブログで、テーラワーダ仏教という言葉を知りました。
ご先祖様とこれからの仏教(Be Happy お釈迦様の教え 「幸せであれ!」)
「大乗仏教」は、お釈迦様のお教えからかなり離れている事も最近分かって来ました。それは、日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老がお釈迦様の直接の教えとして、「テーラワーダ仏教(根本仏教)」をこの日本に伝えて下さったからです。
Wikipediaで検索してみると、テーラワーダ仏教は以前からある上座部仏教、南伝仏教、小乗仏教などと同義のようです。
個人的な印象では、これらは仏教におけるファンダメンタリズム。10代の頃仏教の本をあれこれ読んだ限りでは、ブッダの教えに忠実である点で、心惹かれるものがありました。信仰を個人が選び取る今の時代に、マッチしているように思います。スマナサーラ長老やテーラワーダ仏教について、突っ込んで勉強してみるつもりです。
上記ブログ、RSSリーダーに登録しました。
その上で、2つほど異論。
ブログのタイトル「Be Happy お釈迦様の教え」ですが、ブッダの教えを根本的に曲解しているように思えてなりません。どういうおつもりでしょうか。
あと、上記ブログ記事は根本仏教と大乗仏教の融合・理解を提唱されておられます。言葉としては麗しいですが、それが可能かどうか、必要かどうかについては大いに疑問があります。両者のターゲット、ひいては根本にある論理が全く異なるからです。せいぜいできるのは、「いいとこどり」くらいじゃないでしょうか。
永岡様
突然のコメント、失礼致します。
ご指摘を頂きましたブログの著者であります木下全雄です。
仰しゃる通り、かなりお釈迦様のお教えを歪めてしまっている様に、私も思いました。ちょっと修正を考えようと思います。
私は妻子のいる大乗仏教僧侶ですから、その様に「お釈迦様のお教え」に歪みを起こしてしまうのだと思います。本物にはなかなか残念ながらなれませんね。トホホです。
しかし、お釈迦様のお教えが浸透していない日本の大乗仏教に、根本仏教が伝わって来たのは、素晴らしい事だと思います。
そしてそれを永岡様の様なとても客観的な方が、スマナサーラ長老の下で「根本仏教」を勉強して下さるのは、実に有り難い事です。それだけでも、私のような未熟者がブログを続けている価値があると、本当に思えます。
しかし、本当に有り難いご指摘でした。あまりお釈迦様にご迷惑をお掛けしないように心掛けて行きます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます 全雄拝
永岡様
突然のコメント、失礼致します。
ご指摘を頂きましたブログの著者であります木下全雄です。
仰しゃる通り、かなりお釈迦様のお教えを歪めてしまっている様に、私も思いました。ちょっと修正を考えようと思います。
私は妻子のいる大乗仏教僧侶ですから、その様に「お釈迦様のお教え」に歪みを起こしてしまうのだと思います。本物にはなかなか残念ながらなれませんね。トホホです。
しかし、お釈迦様のお教えが浸透していない日本の大乗仏教に、根本仏教が伝わって来たのは、素晴らしい事だと思います。
そしてそれを永岡様の様なとても客観的な方が、スマナサーラ長老の下で「根本仏教」を勉強して下さるのは、実に有り難い事です。それだけでも、私のような未熟者がブログを続けている価値があると、本当に思えます。
しかし、本当に有り難いご指摘でした。あまりお釈迦様にご迷惑をお掛けしないように心掛けて行きます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます 全雄拝
木下様、コメントありがとうございます。ご本人の目に触れることはないと思い、強い口調で書いてしまいました。ご容赦を。
私は、「葬式仏教」の没落は、仏教にとってはむしろ本領発揮のいいチャンスだと思っております。俗世の人間ではありますが、一生、仏教について学び、考え、その知恵を実践して行きたいと考えているところです。
木下様、コメントありがとうございます。ご本人の目に触れることはないと思い、強い口調で書いてしまいました。ご容赦を。
私は、「葬式仏教」の没落は、仏教にとってはむしろ本領発揮のいいチャンスだと思っております。俗世の人間ではありますが、一生、仏教について学び、考え、その知恵を実践して行きたいと考えているところです。
永岡様
とんでもございません。本当に客観的なご意見を頂けたと思います。
私は在家出身で、お寺があるわけではございません。
また、正式な僧侶になる前に結婚もしていましたので、かなりお釈迦様のお教えとは異なる「僧侶」の生き方をしています。
まさに半僧半俗的な生き方しか出来ないのが現状です。
その中で、私に出来る範囲でお釈迦様のお教えを広めていければと思っております。
檀家制度、葬式仏教は、私も少しずつ「より根本仏教的」に変化して行けば良いと思っています。
根本仏教での檀家制度は、清らかな生き方をしている方を、大切な両親を敬う気持ちで在家者が支えています。そして、幸せな生き方を学んでいます。
根本仏教でも葬式はありますが、心からのお布施しか受け取られません。戒名代はこれ位です、などという事はありませんからね。そこも、僧侶と在家の関係が、とてもしっくりしているように思います。
永岡様のブログは、私にとっても有意義な情報が盛り沢山です。
また私が変な文章を書いていましたら、今後ともアドバイス下さいね。どうぞよろしくお願い申し上げます。全雄拝
永岡様
とんでもございません。本当に客観的なご意見を頂けたと思います。
私は在家出身で、お寺があるわけではございません。
また、正式な僧侶になる前に結婚もしていましたので、かなりお釈迦様のお教えとは異なる「僧侶」の生き方をしています。
まさに半僧半俗的な生き方しか出来ないのが現状です。
その中で、私に出来る範囲でお釈迦様のお教えを広めていければと思っております。
檀家制度、葬式仏教は、私も少しずつ「より根本仏教的」に変化して行けば良いと思っています。
根本仏教での檀家制度は、清らかな生き方をしている方を、大切な両親を敬う気持ちで在家者が支えています。そして、幸せな生き方を学んでいます。
根本仏教でも葬式はありますが、心からのお布施しか受け取られません。戒名代はこれ位です、などという事はありませんからね。そこも、僧侶と在家の関係が、とてもしっくりしているように思います。
永岡様のブログは、私にとっても有意義な情報が盛り沢山です。
また私が変な文章を書いていましたら、今後ともアドバイス下さいね。どうぞよろしくお願い申し上げます。全雄拝