ヨハネの福音書から。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの実を結ぶべし。」です。口語訳の「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。・・・」でははっきり言って締りがありません。よって文語訳を掲げました。
聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指すそうです。ここではそれを離れて一般的な格言として考えたいと思います。
人はなぜ死ぬのか。あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか。その問いへの大いなる答えが、この言葉には秘められていると見ます。次の世代へ命をつなげることこそが、自然の持つ「強さ」なのだと。個体が不老不死なんてことになると、沈滞が免れません。世代が更新されることで、様々な可能性が広がるのでしょう。もちろん「進化」ということも含めて。
個体の幸福や生き死にに拘泥し、ともすればそれを超える視点を失いがちな我々現代人にこそ、必要な戒めの言葉です。
そしてもうひとつ、観念や思想についても「一粒の麦」ということが言えると思います。一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。
要は、「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと私は思うわけです。みなさんは、この言葉に何を想いますか?