逢沢一郎代議士がこんなことをツイートしていました。
ある医師からこんな話を聞いた。「とにかく、親父を生かしていてくれ。親父の年金が必要なんだ。植物人間でも何でもいいから。殺したら訴えるぞ」と。いろいろな現実がある。人はいつか人生を終える。上手に生きる。上手に人生を終える。リビングウィルを明確にしておきたい。みんな国民負担です。
— あいさわ一郎 (@ichiroaisawa) 2017年1月14日
こうしたケースがどの程度あるのか知りません。ただ親や祖父母の年金が家族の「金づる」になっているというケースは少なくないようなので、例外的な家族とは言えないでしょう。
障害者や難病持ちの人、それに資産もなく家族の扶養も当てにできない高齢者。こうした人たちが社会のごく一部だったら、社会全体でできるだけ面倒みてあげるというのは大いに結構でしょう。
ただそうした人たちが何十人に一人、さらには十人のうち何人か、なんてことになったらさすがに限度があるのではないでしょうか。
働いて自ら食い扶持を稼いでいる人からすれば、自分の労働時間の何割かをそうした人たちのために働いているという風な感じになってしまいます。税や社会保険料の負担が重い「中の上」「上の下」あたりの層にとっては一番痛税感が強まるのではないでしょうか。彼らが「真面目に働くのがバカバカしい」なんて思うようになったら、やはり社会として何かが間違っています。
生活保護だって、そうです。「日本の捕捉率は低すぎる」と言われますが仮に生活保護費(現在年間4兆円ほどです)が現在の5倍、10倍になってなお年々膨らんでいくようになったら、多くの勤労者がそれを不満に思わないはずがないでしょう。
ではどうする、という答えをすぐに出せるわけではありません。ただこれからの日本において、上記のような厳しい現実を踏まえていない議論や主張は、何の意味も持たないですし顧慮するに値しない、と言わざるを得ません。