人は死んでも、その人のことを記憶した人が生きている間は、本当に死んではいないんだよ、といったことを言う人がいます。
死にゆく人への慰めでもあり、身近な者を喪った人に「覚えていてあげること、時々思い出してあげることが何よりの供養だ」という意味で言われることもあるようです。
後者はともかく、前者の意味・文脈で言われたとして、死を前にした人への慰めとなるでしょうか。自分にはそう思えませんし、少なくとも私だったら気遣いに感謝しつつも「気休め言ってんじゃないよ」と素直に受け入れられない気がします。
残された人の記憶に頼るというのが情けない感じがしますし、残される側だっていつも死んだ人のことばかり考えて生きるわけではありません。説得力の弱い慰めとしか思えないのです。
他人に知られているということをそこまで重要視すると、生きている間に心の内で起こったことや人知れず行った行為が一切意味を持たないことになってしまうではないでしょうか。
日本には「お天道様が見ている」という言い方があります。仮に他人が知らなくても、お天道様に恥ずかしくない生き方、そして自分の良心にもとらない生き方をしたいものです。そういた観点からは、「記憶している人がいる間は」といった慰めは受け入れてはならないのだ、と考えます。もちろん私も他人に向けて安易にこういうことは言わないようにしています。