「安らかな死」の好循環を

投稿者: | 2017-07-14

現代の日本人は、死への心構えができていないためにいざ自分の死が目前に迫ってもなかなかそれを受け入れられず、いわば往生際の悪い死を遂げてしまっているケースが少なくないと見受けられます。

それを目にした子や孫が「死への恐れ」を受け継ぎ、死を見つめることを忌避する。そして当人たちもやはり往生際悪く死んでいく、という悪循環が生まれてしまっていないでしょうか。

その意味で、先に死んでいく者には自分の死を通じて後に残る者たちの生と死をより良き方向に導いていく役割があるのだと言えます。当人が自覚していようがいまいが、「いのちの教育」の生身の教材なんですから。

その点、在宅や介護施設での看取りが増えているのは良い流れと言っていいかと。大病院での死に比べ、一般に安らかな死を遂げやすいとされていますので、それを目にして「こんな死に方もあるんだ!」と感銘を受ける人もどんどん増えていくのではないでしょうか。

今までが

死を恐れる→安らかに死ねない→その死を見た子や孫も死を恐れるようになる

というサイクルだったとしたら、これからは

死を恐れない→安らかに死ぬ→その死を見た子や孫も死と向き合えるようになる

というサイクルが回り始めるようになるのが理想的です。もうすでに日本の各所でそうした好循環は起こり始めていると思うので、普遍的な流れにしていきたいものです(私も)。

副次的効果、それも小さくない効果として、後者のサイクルにおいては医療者や介護者の業務満足度も向上し、より一層患者や家族に寄り添う心のゆとりが生まれる、ということがあります。好循環に拍車が掛かるのです。

ここまで悪循環・好循環と言ってきました。死を意識することでより生が輝く、もっと言えば研ぎすまされる、という物差しがあるからです。こんなことは一昔というか大昔の日本人にとっては当たり前の感覚だったでしょうが、今は必ずしもそうとは言えません。分からない人・伝わらない人を説得したり論破したりしようとしても時間の無駄だと思いますので、打てば響く、というほどにこれが伝わる人たちと、徐々にけれど着実に「輪」を広げていきたいと思っています。

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