【今週のお言葉】志を立てるのに遅すぎるということはない。

投稿者: | 2008-01-10

イギリスの政治家で総理大臣も務めたスタンリー・ボールドウィンの言葉です。


この言葉のあとに説明を補うとするなら、「何歳になっても、また仮に死が近づいていても、人は志を立てることができるし、またそうすべきだ。」ということになりましょうか。そういえば、文庫本に「 始めるのに遅すぎることなんかない!」なんていうのもありましたね。私はまだ読んでいませんが。

この言葉の背後には、人は人生を通じて志を持って生きるべきだ、という信念があるのでしょう。仮に「遅すぎる」という言い訳を認めてしまうなら、ある年齢までに志を持てなかった人は、それ以後の人生を志なしで生きることになります。意義ある人生には志が不可欠だとするなら、そんな志なき人生は、腑抜けの人生と言わざるを得ません。

我が国でこの手の話になると必ず引き合いに出されるのが、伊能忠敬です。彼は50歳のときに隠居し、測量などを本格的に学び始めました。測量の旅に出たのが56歳の時で、日本全図が完成したのは21年後。彼の没後3年経ってからのことです。

私なりに志についてコメントするなら、志は何も、自分の人生の中で成就できるものでなくて良いのです。その志が「世のため人のため」といった何らかの社会性・公益性を持ったものであるならば、早晩その志を継ぐ人が現れるでしょう。逆に言えば、「金持ちになる」とか「・・・で成功する」といった低次元の目標は志になり得ないのです。

誰もが志を持ち、互いにその志について熱く語り合う。そんな中で各自の志が深められ、相互に結びつき、世代を越えて継承されて行く。それが私の理想です。

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