死生観なき生前準備は、砂上の楼閣

生前準備は大切だよね、と言われれば同意しない人はあまりいないでしょう。

けれど実際には、しっかりした死生観を持たないで考えたり準備しても、いざ自分が死に直面した時にあらゆる想定が崩壊するおそれがあります。言ってみれば砂上に楼閣を建てるようなものです。

専門家と言われる人たちを含め、あまりこれを言う人はいません。だからこそ、くどいくらいに強調しておく必要があります。まずはおのれの死生観を見つめ直すこと、個別の準備はその先で良い、と。

この順番を間違えると、時間や労力が無駄になるだけでなく、いざという時に修正することが次々出てきて手遅れになるかもしれません。つまり修正がかなわないうちにおのれの命が尽きてしまうかもしれません。

死生観というと堅い言葉ですが、結局は「自分の人生は何のためにあるのか」「おのれの命をどう使うのか」に関しての覚悟、決定だと私は考えます。幸せになりたいとか長生きしたいという漠とした願望は、死生観とはとうてい言えません。

現代の日本では死生観が持ちにくい世の中、持っていない人が多いのは事実だろうと思います。伝統的な死生観が受け継がれておらず、それに代わる有力な選択肢・お手本とでも言うべきものが社会にないからです。さすがに、自分一人で一からこれを構築するというのは生半可なことではありません。

まずはその「不在」を自覚すること、そして中年期以降は自分なりの回答を出そうと必死であがき続けること。そこからしか道は開けないのではないでしょうか。

私自身は常日頃からこういうことを考えているゆえ、50歳にもならない年齢ですがある程度の死生観は確立しつつあるつもりです。それでも、山登りにたとえたら7合目8合目といったところでしょうか。ここからが、キツいんですよねぇ、きっと。

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