日本人の死生観を変えるには

投稿者: | 2018-10-31

いつも楽しみにしているダイヤモンド・オンラインの連載「医療・介護 大転換」が更新されました。

老衰死が統計でも増えているのが確認できるが、実態はもっと多いのではないか。そんなことをめぐっていろいろ検証したあとでこんな一節が。

「老衰死」の実数は統計より多い、死亡診断書“書き換え”のトリック | 医療・介護 大転換 | ダイヤモンド・オンライン

日本人の死に場所が病院から施設へ移りつつある。施設での個室化が進み、第2の自宅という意識が利用者に高まったことに加え、家族が老衰死を歓迎し始めたことも大きい。管につながれた延命治療より、「生き切って命を閉じる」ことを選び出した。「大往生」という言葉がよみがえりつつある。

死因として老衰死が大半を占めるようになれば、日本人の死生観が根底的に変わるだろう。「老衰で死ぬ人は多く、老衰で死ぬのが当たり前」という意識が広まれば、延命治療への抑止力となる。欧米並みに、自然な死を受け入れる時代がより早まる可能性が高い。

延命治療への依存から抜け出すためには、医療界だけでなく国民意識の転換も必要だろう。医療技術の進展は近代科学のシンボルでもある。だが、命に限界があるのは自然の摂理。科学と自然のはざまにあるのが今の老衰問題ではないだろうか。

ブログのタイトルは「変えるには」としました。けれど既に変わりつつある、というのが実際のところでしょうね。それを大きな波にし、誰にとっても当たり前にすることが必要と考えます。

もちろん中には死ぬまで医療的措置をとことん施してほしい、という人がいても構いません。けれどそういう人には社会の少数派であることを自覚してもらい、極力自費で賄わせる、という方向へ行くべきです。

上記のような国民意識の転換が起これば、本人は穏やかに死ねて家族もその死を受け入れやすくなることでしょう。おまけに死ぬまでに要する医療費も少なくて済みます。良いことずくめなのではないでしょうか。

問題は、その意識転換をどう進めるか、です。やはり家族など身近な人の死(それも平穏死と呼ばれるような死)に多くの人が立ち合うことが一番なのではないでしょうか。ただそれだと迂遠だし機会も限られます。死の現場にいる医療者、特に看護師が自分の見聞を広く世に伝えるというも併せて求めたいですね。

あとこれはいろいろ物議を醸しそうですが、死にゆく人に密着したドキュメンタリーのテレビ番組や映画作品がつくられることも期待したいです。安らかな死、穏やかな死の実際を映像で観たならば「こんな風に死ねるのなら、いずれ死ぬのも悪くないな」と思う人も多くいることでしょう。

昔は多くの人が家で亡くなり、家族や隣近所の人の死に触れる機会もふんだんにありました。それがたくまざる「死の準備教育」になっていたのは間違いありません。けれど今はそういう時代ではないので、何か別の仕掛け・仕組みを考える必要があります。でもかえってそのことがこれからの時代、我らの生き方にも好影響を与えるのではないでしょうか。

命の有限性を自覚することで、自分の命をどう使うか、もっと真剣に考えるようになるはずです。今はそんなことすら意識の上らない人も少なくないのでしょうけど。

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