いきいきと生きる

投稿者: | 2009-08-14

少し前に「書きます」と予告しておいて放置していた件、着手します。

まず、個人の生の充実、ということについて。

人の生きる目的は何でしょうか?幸福になること?いや、幸福は目的ではなく、結果でしょう。目指すべきは、その人なりの生き方でより良い生、より充実した生を生きることなんだと思います。

で、以下は私なりに考える「充実した生の条件」。

1.いわゆるワークライフバランス
「仕事か、私生活か」ではなく、「仕事も、私生活も」ということです。でも、時間の面でもエネルギー配分の点でも、7:3とか8:2の比率で、仕事の方が大事ですが。少なくとも男性においては、仕事において見るべきものがなければ、人生の「失敗度」はかなり高くなります。

なお、私は仕事において「生涯現役」が理想と考えますが、これは全ての職業に可能なこととは言えませんので、万人に押しつけるつもりはありません。

2.志を持って生きる
夢と志は違います。夢は、自分がどうなりたいとか自分がどうしたいといった、徹頭徹尾自分目線のもの。志は、より良き社会へのビジョンを含んだものです。それを実現するのは、別に自分でなくても構わない。実現に少しでも貢献できれば幸せ、といった程度のものです。

はっきり言って夢レベルの願望しか持ち合わせていない人と、志を持っている人では、生き方の水準が全然違います。夢すら持たずにただ日々を送るのは、論外ですが。

3.仕事で社会に貢献する
2.と3.は密接に関連します。というより、3.は2.に含まれている、と言ってもいい。でも、あえて強調する意味で、別にします。

仕事をする。生みだした価値の対価として報酬を得る。それは最低限の基準値だと思います。これからは、さらに「社会・顧客への貢献」ということも考えたいものです。たとえば、おいしいけど不健康な食べ物を提供する飲食店は、仮にどれだけ繁盛しようとも、真に社会に貢献しているとは言えないのではないか、といったことです。

別にこれはキレイ事なんかじゃなく、目覚めた人なら、こうした高いレベルでの社会貢献がないと、自分の仕事に満足できないのです。

4.家族や友人との交歓
これについては、あり方はひとそれぞれなので、特に言うべきことはありません。いくら仕事で充実していようとも、仕事を離れた人間関係が乏しいのでは、やはり「寂しい人生」と言わざるを得ません。

もちろん、家業としての仕事に取り組み、仕事と家庭が不可分、ということはあるでしょうし、それはそれで結構なことと思います。

5.一生、学び、成長し続ける
職業上のスキルといったものはもとより、やや古臭い言葉で言えば、人格や識見も磨き続ける。「今の自分が、これまで生きてきた中で最高だ。でも、まだまだ成長したいし、成長できる」と胸を張れる人は、立派です。少なくとも、向上心を失ったら、人間はおしまいですよ。

こんなところでしょうか。縮めて言えば、「仕事も私生活も大事。仕事面では、志を持って働き、社会に貢献するような成果を挙げよう。私生活では、家族や友人と深く交流しよう。それらを通じて、一生成長し続けるのだ。」といった風になるでしょうか。他にあれば、また追加します。

で、私の議論のミソは、これが「望ましい社会のビジョン」と連関しているということです。個人が自分の志を構想する際には、望ましい社会のビジョンが不可欠ですし、また、あり得べき望ましい社会のビジョンには、「個人がいきいきと暮らせること」というのが必ず入ってくる。

ということで、次回は「人々がいきいきと生きる社会を創るには」というテーマで行きます。

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