ネットは人をどう変えるか?

投稿者: | 2008-07-04

ソーシャルブックマークやっていると、不思議と呼応するような内容のエントリが立て続けにブクマされてたりするものです。今回は次の二つ。

ネットが結ぶ多様な縁

ふと気がつくと、ネットが結んだ縁から、どちらかというと受動的で、面倒なことは避ける傾向が強かった自分に、自ら行動し、さらに新しいコミュニティを形成しようとする自主的な意思が生まれている。

 最近、インターネットの影の部分ばかりが注目されているが、ちょっと偉そうだけど、自分の心のあり方や姿勢で、光の部分を大きくすることができ、自分が元気になったり、成長したりできるのだと思う。

ネットを通じて、いろんな人と気楽に接触でき、それが行動やコミュニティ形成に結びつくようになっている、というお話。私には割と新鮮なネット効用論でした。

一方こちらは、パソコンやネットへの過剰接触が、人の記憶力や思考力を損ねているという話。

フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる(情報考学 Passion For The Future)

パソコンとインターネットを人類共通の外部記憶装置として共有する情報管理スタイルは、この10年で世界中いたるところで急速に浸透している。楽に膨大な量の情報を扱うことができるようになったわけだが、一方で人間が物を覚えたり考えたりする時間は減っている。現代人は中途半端にしか情報を受け取っていないから「知っている気がするけど思い出せない」ような体験が増えていると著者は指摘する。脳がパソコンにカスタマイズされてしまっているのだ。

こちらは、言ってみればよく出る話。当面はパソコンやネットがもたらしうるこうした弊害を意識しつつ生活をコントロールする(たとえば、あえてアナログな手段を使うとか)ことが必要なのでしょう。ただ長期的に見れば、パソコンやネットが人の思考力や創造性なんかを促進してくれるような方向で進化することを我々が求めていくべきです。便利さとこうした方向性は、二律背反ではないはずですから。

個人的には、パソコンやネットのおかげで今より人々の知的能力が高まり、そしてこれまたパソコンやネットのおかげで人々が今より高い次元で生産的な協働をするようになる。そうした未来は可能と思っています。そのためには、いたずらな否定論や暗黒論をまきちらさずに、可能性の芽を大きく育てて行くことじゃないかなぁ。

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