世の中には、免許がないと就けない職業があります。
教員、医師、弁護士なんかが、その代表例でしょう。
リバタリアンの提案の一つに「職業免許の廃止」というものがあります。多くの人は職業免許のデメリットなどは感じておらず、むしろ必要なものと感じているでしょうから、この提案は暴論のたぐいと受け取られるでしょう。
でも、国家による試験に受かった者しか職業を営むことができない、というのは重大な営業自由の侵害です。そして同時に、免許を持った者からしかサービスを受けられなくすることで、消費者の利益を損ねています。
一般に免許というものは「消費者保護」の美名の下に正当化されることが多く、それは一理もないわけではありません。ただ上記のようなデメリットを上回るほど消費者が恩恵を受けているかどうかは、疑問です。有り体に言えば、免許制度というものはそれを持つ者にとっての既得権として機能すること以外の社会的存在理由はありません。
そしてそれゆえに、職業免許の廃止を目指す運動は、一筋縄ではいかないわけです。将来その職に就こうとしている者(学生など)や既存の構造にどっぷり浸かった学者なんかも含め、多くの者が強力な抵抗勢力となるからです。
職業免許の廃止。それは単になくせば済むというものではありません。免許のない中で、いかにして消費者の利益を最大にできるか、広範な制度の再設計が求められることでしょう。
生きている間に見てみたいと私が思っていることはいくつかあります。この「職業免許の廃止」も、その一つです。