生前準備について、日々いろんなことを考えています。
そんな中でつくづく感じるのは、良い人生あってこその良い生前準備だよな、ということ。
良い人生を送っていれば、細部にこだわりすぎたり珍奇なアイデアを取り入れなくても、見事な生前準備ができやすいと思われます。一方大元の人生がつまらないのでは、生前準備にいくら力を入れたって、大したものは出てきようがありません。かえってその人生のむなしさを際立たせる、なんてことにもなりかねません。
では「良い人生」とは何か。それは、どんな形であっても他人のため、社会のために何かを与えてきた人生ではないでしょうか。もちろんこの場合の「与える」はモノや金であっても良いのですが、それ以上に有償・無償の奉仕や手伝い、「気遣い」「配慮」といったものを指します。
エラそうなことを言っていますが、実際のところ「あなたの人生は良きものですか?」と問われて、胸を張って「はい」と答えられる人は一握りでしょう。私も「はい」と言い切る自信はありません。中年期以降、自分の生き方を反省し、「残りの人生をどう生きるか」「自分のいない世界に何をつなげていくか」といったことをとことん突き詰めて考えるのも、生前準備・死の準備の大切な要素です。
なお、今回のエントリーは橘玲氏の下記記事に触発されて書きました。
”終活”とは自殺合法化を考えること 週刊プレイボーイ連載(214) | 橘玲 公式サイト
残念なことに日本では、「死の自己決定権」というやっかいな問題から目を背け、相続や葬儀、戒名など、死んだあとのどうでもいいことばかりが熱心に議論されているのです。
「どうでもいいこと」という指摘には賛同せざるを得ません。人生の時間には限りがあるのですから、本当に大切なことに焦点を合わせ続けなければ。