前回の記事「カギはやはり、本人の意思」の続き、というか補足になります。
まずは、
- 当人の意思が最重要
- 当人の意思は変わりうるが、それもアリ・OK
ということを多くの人の共通認識というか土台の認識としたいです。
ただその上で、家族など人生をともにしてきた人が、ただ受け身な存在で良い、とは申しません。時には本人に感想や意見、「こちらの都合」みたいなのを訴えて本人意思の修正を図ることも必要でしょう。
また「意思」と言っても一から十まで表明されるなんてことはありえません。家族あるいは遺族が「あの人ならどう言っただろう」「あの人なら何を望んだろう」と考え、そのすき間を埋める必要があります。
なので本人意思の尊重と言っても、全体で考えると本人と家族による共同作業、みたいなところがあるのですよね。そしてその経験、場合によっては葛藤した時間は、きっと家族にとっても大切な人生の一コマとなることでしょう。もちろんおのれが死に向き合うときにも、大きな参考になるはず。
ともあれ今の日本では、本人意思が明確に示されること自体が「当たり前」とは言えないでしょうから、意思表示しようよ!というのはいくら呼びかけても足りないくらいだと思っています。まずはそこから、ですわ。