予想に違わず、衝撃的な番組でした。
16日に放送されたNHKスペシャル「出生前診断 そのとき夫婦は」。私は数日遅れで、しかも二回に分けて「NHKオンデマンド」で観ました。一回で観なかったのは、忙しかったとかそういうのではなく、観ているのがつらすぎて一度で見通すことができなかったからです。
実は日本では、胎児の異常(障害)を理由にした中絶は法的には認められていない。しかし、「母体保護」や「経済的困難」という名目で、中絶が広く行われているのが実情だ。
我々取材チームは、日本では珍しい出生前診断専門のクリニック「夫マタニティクリニック」(大阪市)で密着取材の許可を得、昨秋から継続してきた。胎児の異常を、早期に正確に把握し、母体と胎児の健康に繋げるための出生前診断だが、その一方で、障害の「宣告」、出産の「葛藤」、そして「命をめぐる決断」が日々繰り返されている。
胎児に異常ありと宣告を受けてそのあと号泣する母親や、産むかどうかを話し合う家族会議の模様など、生々しいドキュメントでした。上にある「日々繰り返されている」ドラマからすれば、ごく一部でしかないわけですけど。
番組の中では、難病団体の関係者が登場して「安易な検査には歯止めをかけなければ」などと話していました。でも、知ることができる方法が確立してしまったら、それを法で規制したりまして禁止したりするというのは、無理な話ではないでしょうか。
検査で未然に知ることのできる傷害や病気を持った子が生まれたとして、一義的にそれ背負うことになるのは本人であり、親・家族なのですから。「(検査は)やめとけ」というのは無責任というのもの。
他方で番組で紹介されたような、子に障害があってもあえて産む、という決断をした親を責めるのも酷だと思います。出生前診断や遺伝子診断が普及すれば、おそらく障害や難病を持って生まれる子供は今より相当減るでしょう。けれども中には「それでも・・・」と産む決断をする親もいて当然で、社会の側はその重い決断をできるだけ支えてあげるようであってほしいと思います。高齢化する中で、社会にそれだけの余裕がなくなりつつあるのも、また現実ですが。
ともあれ、今後は病気の診断だけではなく、知能や性格のようなものまで、産まれる前や産まれると同時に「調べれば、わかっちゃう」世の中が確実に来るでしょう。「知らぬが仏」とばかりに検査を回避するのも結構ですが、その結果生じる不利益や場合によっては差別も、「自己責任」ということにならざるを得ません。
我々としては、社会がそういう方向に行くのは所与のこととして、そうした中でいかに良い社会を築いていけるか、考え、備えるのが賢明というものでしょう。