命を軽んじる思想

投稿者: | 2019-05-29

タイトルを見てギョッとした人も多いのではないでしょうか。

別に逆説とか反語というわけではなく、私は本当にそれが望ましいと考えています。もちろん、他人に強要することはできませんが。

けれどこれとは反対に、自分の命に執着し、自分の幸せや快楽だけを追い求めても、結局は幸せにもなれないし命も輝かないでしょう。そのことに気付く人がこれからますます増えていくだろうということについては、確信のようなものを持っています。

日本人の場合、敗戦の経験で「滅私奉公」に対する嫌悪感が蔓延しました。そのこと自体は必然的な流れだったとしても、逆方向に行きすぎたのではないでしょうか。人によっては会社がおのれを捧げる対象であり続けたかもしれませんが、それも一部の人だけ。また昭和から平成へと時代が進むにつれ、そうした愛社精神すらも絶滅の道をたどっていったように思われます。

時代の閉塞感、みたいなことを多くの人が口にします。けれど自分の幸せを追い求めているのに、ちっとも幸せ感を得られない、それどころか当の幸せからどんどん遠ざかっている、というのを実感していることも大きいのではないでしょうか。焦りのようなものを感じている人、少なくないはずです。

自分がいなくなっても、この日本社会そして世界は同じように続いていくのだ。けれどだからこそ、自分に命のあるうちは世のため人のために自分のできることを考え、行動していこう。

そんな風に(良い意味で)吹っ切れた人が増えれば増えるほど、この閉塞感は薄まっていくことでしょう。

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