「気持ち悪い」という感覚

投稿者: | 2016-11-29

テクノロジーが進化して、現在の我々の便利な生活が成り立っています。

今後は、「いのち」に関わる分野にもさまざまな応用がなされていくでしょう。たとえば、人体のパーツを交換したり何らかの方法で培養したりして不老不死を実現する。あるいは、遺体を冷凍保存して将来蘇らせる。さらには、脳内の情報をすべて読み取って「頭の中」を永久に保存する、など。

好奇心旺盛な人や、自らの命の短さを受け入れられない人がそれらをやることをことさらに止めるつもりはありません。他人に迷惑にならない限り、本人の自由ということで良いのではないでしょうか。「命の尊厳を傷つける」といった批判にはあまり意味がないと感じます。

ただ私自身は上記のようなテクノロジーにすがってまで生を延長したいとは思いません。死ぬ時が来たら死ねばよい、という立場で、これはほとんどの日本人に共通するものでしょう。上記のような話も、テクノロジーの進化を素晴らしいと感じるより先に「気色悪い」「おぞましい」という感覚の方が先に立ちます。この感覚は、それこそ死ぬまでなくならないでしょう。

一方、物心付いたころからそういうのがあるのを知っていた世代が出てくると、死生観というかもっと根本的な「命に対する感覚」のようなものが我らとは全然違ったものになるのかもしれません。だとしたら寂しい気はしますが、それはそれで仕方ありませんよね。彼ら・彼女らに、我らの感覚や価値観を「古くさい」と言われなければいいんですけど。

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