青空文庫よ、ありがとう

投稿者: | 2013-01-25

著作権の切れたテキスト(主に文学作品)をボランティアが入力・校正し、無料で公開している青空文庫。

我が国の文化的資産と言っていいでしょう。鴎外も漱石も芥川も太宰も宮沢賢治も、ほとんどの作品がタダで読めるんですから。

従来からあったこの青空文庫。スマートフォン・タブレット・電子書籍端末が普及したことで、従来以上に我々にとって身近なものになりました。それまでは、パソコンのモニターで読むしかなかったものが、より小さな端末で読めるようになったのです。

とりわけ今年は柳田國男吉川英治室生犀星といった人たちがこの青空文庫のラインアップに加わることとなりました。「当たり年」です。

とはいえ残念なのは、この青空文庫に入ってくるのは、作家等が亡くなって50年の翌年元日だということです。人によっては、忘れ去られている人、あるいは書いたものが時代遅れとなって無価値になっているケースも少なくないことでしょう。海外の法に呼応して著作権保護期間を現行の50年から70年に延長しよう、という動きがあるそうですが、とんでもないことだと私は思います。時代の変化の激しさを考えたら、たとえば30年に短縮してもいいくらいではないでしょうか。

もっと良いのは、作家自身が遺言を遺し、50年と言わずもっと短い期間で作品がパブリックドメインになるよう、手配しておくことです。死ぬと同時に、とは言いませんが、せめて5年後10年後はパブリックドメインに、としても決して早すぎることはないのではないでしょうか。

もちろん著作権(とりわけそこから上がる収益)に対する考え方は、立場により価値観によりさまざまですから、それを守りたい、収益機会として活用したいという人や企業もあって良いと思います。ただ私としては、もう少し著作権に対して鷹揚で、自分自身が豊かになるのと同程度には文化が豊かにことを大切にしてくれる作家やクリエイターを応援したいですね。

そうした意味で、今の若い人たちがスマートフォンやタブレットを通じて青空文庫の作品群に触れられることはチャンスだと思います。そうした人は従来の大人以上にパブリックドメインやクリエイティブ・コモンズといったものを理解し、自らも認めていくのではないでしょうか。願わくは、今後はそれらテキストを素材にした二次創作・三次創作が我々を楽しませてくれると良いですね。それらには多少の費用を払っても構わないので。

先日、ある「ネット活動家」の自殺が話題になりました。

「すべてを公開せよ」と宣言した若きネット活動家の最期:日経ビジネスオンライン

死に至る経過がすべて明らかになっているわけではないでしょうが、情報の自由を求めての闘争が大きな理由(最大でも唯一でもないかもしれません)であったことは確かなようです。彼の死を無駄にしてはならない、と考えます。

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