信念というか義務感を持って葬儀に参列しておられる医師がいらっしゃるようです。といっても、オーストラリアでの話ですが。
確かに、一緒に病気と闘った家族と医師が、葬儀の場で悲しみを分かち合えば、遺族の悲嘆を和らげるのに効果的かもしれません。多忙な中で、また医師にとって精神的に負担でもあろう葬儀への出席を続けておられるShaw医師は、立派です(当人は病院のシステム上その機会が減ったと、嘆いておられる由)。
日本でも、医師や看護師にこれだけの時間的・精神的ゆとりが持てるようだといいんですが。
一方、最近葬儀屋さんのこんな記事を読みました。
葬儀屋と遺族の関わりは、医師と家族に比べればずっと「かりそめ」のもの。遺族の悲しみがわかるとか、遺族に寄り添えると考えるのは、傲慢というものでしょう。安易にグリーフケアへの関与を語る葬祭業関係者には、上記のShaw医師の言葉を聞かせてあげたいものです。