興味深いブログ記事を見つけました。
他人の財布からお金を出させるのは本当に難しいことだ。それを知っている作家とそうでない作家では、出来上がる作品は全然違ってくる。どっちが優れている劣っているとは簡単に言えないが、プロを消してしまうのは人類が現代社会において生み出した財産を失うことだと私は思う。
BOOKSCANへの批判は筋違いにしか思えませんが、プロフェッショナル擁護論としては、耳を傾けるべきものがあります。もっとも私は、この人とは違う意見ですが。
デジタル化が進むと、複製の容易なコンテンツの値段は下がる傾向があります。複製や流通に掛かるコストの分が、大部分カットできますからね。そしてそのことは流通するコンテンツの量を増大させ、結果、割高な値付けをしているとそれだけで売れない、という面もあります。
最近私がつくづく思うのは、コンテンツに関して事前に値決めがなされるのは不自然じゃないか、ということ。レコード・CDや本など、物理的な媒体にパッケージされて売られていた時はその不条理は目立ちませんでしたが、デジタル化されると、そのことを強く感じます。「モノ」としての手応えがなく、あるのは情報としての純粋な価値のみですから。
ということで、コンテンツの価格低下は今後も避けられないと思います。重要なのは、受け手が満足した時に、作り手に「お礼」する仕組みが整えられ、十分に活用されることではないでしょうか。もちろんその「お礼」には金銭的対価も含みます。といって、それだけとは思いませんが。
ちょうど昨日、こんな記事も目にしました。
一体オンラインで何曲売れば、アーティストは生活していくことができるのか?を表す図 – GIGAZINE
先のようなことを考えると、「コンテンツをどれだけ売れば、生活できるのか?」という問いの立て方自体が、的外れです。これからは多くのクリエイターにとってコンテンツは多様な収入源の一つに過ぎず、ライブをするとか、グッズを売るとか、あるいはスキルを活かして副業を持つとかするのが常識となるでしょう。これまでもあったように、バイトしながら創作活動を続ける、という道だってあるはずです。
肝心なのは質の高いコンテンツがたくさん生み出されることであって、プロの食い扶持が維持されることはその必要条件とは断じて言えません。「プロがメシを食っていけるよう、受け手は高い料金に甘んじるべき」というのは傲慢だし間違った主張です。少なくとも、普通のビジネスで供給者の側がそんなことを口にしたって、相手にされないでしょう。
※上記の「コンテンツ」は、音楽・書籍といったものを主に念頭に置いています。映画、ゲーム、コンピュータプログラムといったものは、若干毛色が違うかもしれません。