「墓いらず本」を読んで(1)
昨日、「お墓に入りたくない人 入れない人のために-散骨・樹木葬・手元供養ほか『お墓』以外の全ガイド」 という本を読みました。(長いので「墓いらず本」と呼びます)
昨日、「お墓に入りたくない人 入れない人のために-散骨・樹木葬・手元供養ほか『お墓』以外の全ガイド」 という本を読みました。(長いので「墓いらず本」と呼びます)
葬儀は誰のためにあるのでしょうか。少なからぬ人が「故人のため」と答えるかもしれません。けれども葬儀というのは、まず第一に遺された人、とりわけ家族など身近な人たちのためにあるはずです。
不老不死は人類にとって福音でしょうか。それとも、新たなる地獄でしょうか。さしあたり実現の可能性は薄いにしても、思考のトレーニングには格好の素材と思います。
最終回の今回は、お寺そのものを支える活動に人々を巻き込むべき、ということを提言します。
三回目の今回は、仏教のメイン・テーマでもある「生老病死」にからめた事業・活動を考えてみたいと思います。
前回は「お寺は、人々が公的なものに参画する際の受け皿であるべき」ということを述べました。今回からはそれを受けて、お寺にやってもらいたい事業や活動を挙げてみます。
以前観た番組「ETV特集:お寺ルネサンスをめざして」を踏まえて、私なりにお寺の可能性を活かすアイデアを何度かにわたって提案してみたいと思います。素人考えなので、実現できるアイデアかどうかは保証の限りではありませんが。
個人的には、樹木葬で葬ってもらいたいと思っています。名前に「樹」の字が使われているのも、何かの因縁のような気がしますし。
先日NHK教育テレビで「ETV特集:お寺ルネサンスをめざして」という番組を観ました。お寺を活性化させるべく様々な取り組みをしている3人の僧侶を紹介する番組でした。
遅ればせながら、「モリー先生との火曜日」を読了しました。涙を流すことこそありませんでしたが、深い感銘を受けました。一生大切にしたい本となりそうです。