死生観と信仰
日本における死生学の言説に多大な足跡を残したアルフォンス・デーケンさんが先日、88歳で亡くなりました。
日本における死生学の言説に多大な足跡を残したアルフォンス・デーケンさんが先日、88歳で亡くなりました。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という格言があります。論語に出てくる言葉だそうです。
スピリチュアルと言っても、定義はなかなか難しい。意識や魂といったものが肉体(特に脳)から独立して存在している、という感覚なり信念だと私は捉えています。
広島・長崎の原爆の日から終戦記念日にかけてのこの時期、メディアには戦争についての語りがあふれます。そこで繰り返されるセリフが「いのちを大切に」といったものです。
連日、新型コロナウイルス感染症に関する世界中のニュースに気を揉んでいます。
フジテレビ系列で火曜夜に放送されている「セブンルール」を録画視聴しました(制作は関西テレビ)。
「自宅で最期を迎えたい」と望んでいる人は多いのに、必ずしもそれが叶っていない。日本の課題の一つです。
前回記事「信仰なき日本人のために」の続きです。
がんになった人が時折「がんになってみて悪いことばかりじゃなかった(良いこともないわけではなかった)」といった感慨を漏らしていることがあります。
ここのところ、自分の中で倫理に関わるようなことを考える機会が多くなっていることに気が付きました。